おはようございます。女性起業家専門アドバイサーの山崎恵美子です。
昨日、飢饉普請の意味について記録しました。
資産家が生活にダメージを負った人々に、寄付ではなくて労働に対する対価として賃金を与えると書きました。
それは寄付=施しを受けるということは、何かしらその人の自尊心を少なからず傷つけることになると考えるから、とも記録しました。
ふと、これは年々増え続ける生活保護の支出にも言えることなのではないか、と考えが及びました。
もちろん、急な不幸や事件、やむを得ない事情で生活にダメージを負い、緊急に生活を救済しなければならないケースはあります。
そのこと自体については問題ありません。と言うかむしろ国民を守る社会的セーフティネットの存在はとても重要です。
ですが、単純に生活を保護し続けるのは、その人の生きる力を削ぐことになる危険性もないわけではありません。
ましてや、国債発行額のGDP比が先進国ではトップとまで噂される我が国においては、生活保護の財源は盤石と言い切れるか甚だ疑問です。
段階的に「生活を保護する」ことから「生活を支える」支援へケースによってシフトする必要性を国も自治体も、そして個人も強く認識する必要がありそうです。
おそらく手っ取り早く保護費を支給する方が、手間も暇もコストもかかりません。かと言って、このまま放置し続けるのは非常に危険な気がしてなりません。
「創業」。仕事を創り出すこと。この言葉の意味の深さと重さを改めて感じた年末の始まりです。
本日は飲食店の研究です。